海近くまで移動して車を降りて、住宅街だったんだろう場所を歩いた。カメラを持って歩いてる人とすれ違って挨拶をする。
「すごいね...」
それ以外の言葉が出なかった。とにかく言葉無く歩き、写真をどんどん撮った。
撮った写真はアメリカに持って行く。現実を見てもらおうと思って。
人工物は殆ど壊れてしまっていたが、木は残ってた。
あんな高い位置にコンクリートが。そこまで津波が来たってこと?
仙台に着いたのは朝の5時とかだったんで、ボランティア受付開始まではまだ時間が有った。
「もっと海のほうに行ってみます?」
そんな話になってバスを海の方に走らせて行った。
途中でも信じがたい光景が...
日常が戻りつつあった仙台で、すぐ隣にこんな光景が有った。
海の砂ですね。ここにあるはずのない砂。
さらに車を進めていきます。道路だけは整理されてたが、道路の両脇はがれきがそのままで。
進むにつれて、匂いもだんだん凄くなってくる。
もう長い間、ヒマとかやることが無いとかの状況を味わって無いんだが、渡米前はさらに忙しくなった。準備はとにかくとして、3ヵ月の不在状況を作る為には仕事を沢山しないといけない。
そんな中で、どうしてもやっておきたかったことが有った。それは自分にとってとても大事なこと。
被災地に行って、とにかく自分の目で見てみたい。そしてなにか力になりたい。
地震後は10万程だが赤十字を通じて寄付もしたし、都庁を通じて物資も送った。あと俺レベルで出来るのはボランティアワークだけ。
で、5月半ばに常連客(リョウタロウ)を道連れにして行ってきた。予定をムリくり調整して&してもらって、日曜の仕事後に作業してたツナギをそのまま積んで、日が変わった頃にその常連のバスで仙台に向けて出発した。行先決めや段取りは、その常連客が全部やってくれた。
真っ暗な東北道をひたすら北上するが、福島に入った辺りで道路の修復がまだ終わって無くて、段差だらけだった。「段差注意」みたいな看板が沢山出てたんだが、ドッカンドッカンいいながら走るのはあまり気分の良いものではなかった。
途中まで楽しくお話ししてたんだが、ベッド(バスはハードトップキャンパー)で横にならせてもらった。さすがにおっさんになるとムリはきかない。
空が明るくなってきた頃に仙台に着いたが、そこでニューズで見た光景を自分の目で見れた。
もうね、涙が出そうになるだけ。その時の感じた気持ちを上手く言葉で表現できない。
朝の空気の中、2人で茫然とした。
生きているうちにやりたいことやろう。
震災後にその思いがどんどん大きくなって行くにつれて、4月頭には夢だった長期渡米をしようと決めた。
決めても、その目の前には現実がある。店をどうするのか?
面倒みているお客さんはどうする?車検が来ちゃったら?車が壊れちゃったら?
収入も無くなる。収入は無くなるが家賃等の固定費は払わないといけない。
...。
ざっくりと計算してみる。色んなことを考えてみる。考えてみても、やはりそれはとてもムリっぽい感じで。
でね、そういう時はとりあえず身近な人にね、言っちゃうんだよ。「3ヵ月くらいアメリカ行っちゃおうと思ってるんだ」って。そして、それをどんどん広げていく。
そうするとね、それをやらなきゃいけなくなる。しかも話が段々と整理されてくる。
自分に引っ込みをつかなくしちゃえばいいんだよ。そして有言実行すればいい。
身近な人から初めて、来店する人に伝え始めて、TELで話す人にも話して、付き合いの有る業者に説明をして、USの取引先や友人にも伝えて、そして最終的にホームページで発表した。
営業を止めるに当たって、面倒みているお客さんのトラブルが有った時には仲間の業者が助けてくれることになった。そしてGENが週末だけ店を開けてくれることを承諾してくれた。ヘルパー(常連客)の皆を呼びつけて、GENのヘルプをお願いした。
別の大きな問題としては金だ。とにかく金が必要だ。遊びに行くわけでは無いんで仕入れの金も必要だ。
皆さんに利用してもらえてるおかげで店の売り上げはずっと伸びてる。そして4月と5月はそれまでで過去最高の売り上げを出した。
「実行出来ちゃう?」
色んなことをクリアして、実行に向けて話を進めていったんだよ。
あとは猫。ぺロちゃんをペットホテルに3ヵ月預けるなんて考えたくもない。誰かに預かってもらわないといけないが、それはいつもの常連さん夫婦が引き受けてくれた。
写真はもう12年前にぺロが旧マイボウズに来たばかりの頃の写真です♪
まだ小さくて首輪がでかすぎてるね。